っていうのは、日本ではよくある意見の一つだ。対立する意見は、女は馬鹿であるという意見。どっちもどっちだね。 https://sukusuku.tokyo-np.co.jp/education/36632/ フェミニストのアーギュメントを見ていた。 人間の歴史的には、 女性中心の社会(繁殖活動が主体) → 男性中心の社会(軍事活動が主体) → 現代 という順序を辿っている。 男女を比較した場合の差異として、男性の方が大規模組織などの組織運営に適していたというのは性差を理解する上で重要な点だ。それが軍事活動が主体の時期に男性中心の社会が隆盛したということでもある。ウクライナのことがあるのでなんとも言えないけど、一応世界的には21世紀からはそういった軍事中心の社会からシフトしてきていると言われる。その象徴が北欧などを中心とする女性政治家の台頭と女権社会の隆盛だ。 ブッダはフェミニストによくある自己の感情から世界を見ることを全否定している。ノン・セルフ(アナッター)といって、現在の自我を構成する一部である感情は一定ではなく可変である、その感情を支持する不変の自己はないという視点だ。フェミニズムは倫理のテーマではあるものの、精神活動の単位としてみた場合は歪んだ現実認識を作り出す。ブッダの視点で理解すれば、その時必要なら男が上でもいいし、状況が変われば女が上でもいいし、また状況が変わればLGBTQが上でもいいし、何かを定めるということが誤りであるという理解だ。ただし、ブッダは古代の賢人では珍しく、超男女平等主義者だった。 僕が今回引用したフェミニストのアーギュメントで気になっているのは、男子を洗脳すれば女権拡大になるという卑しい精神だ。次世代の選択肢は次世代に帰するのであって、それは何者によっても操作されるべきではない。操作によって作り出されたのが個人が価値を失うことで没落した日本だということは、愚かな彼女たちはわかっていない。どのような理由があっても、ある人の精神を自分の意に沿うように作り変えようというのは、単なる洗脳に過ぎないということだよ🐻❄️ |