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Z世代と個人化の果て

7/7/2020

 
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個性化の時代は終わりを告げた。現代は、個人化の時代だ。だが未だに、個性化と個人化との間にある本質的な差異を取りかねる人も多いようだから、標準的な意味においてのそれらの違いについていくつかの説明を試みたいと思う。

まず、あなたの親は個性化の世代の遺物だ。個性とは、あなたが想像するように、例えば髪の毛を緑に染め鉄パイプを握りしめバイクに跨って出てくるようなことを言う。それは、まずまず個性的だ。極めて同質的な集団や組織の中における差異を表す個性だ。わかりやすく言えば、こうだ。あなたがたは人間だ。その人間という枠の中でどう異なるのか、という見方が個性だ。個性化の台頭は本質的に同質な群れが標準的だった時代の、一つの流行りのようなものだったろう。さらに言えば、個性化の世代は、精神と肉体とその両者を土地に縛られていた。

では、個人化とは何か。現代は個人の時代である。我々の頭脳のソフト的な面は本質的に差異を持ち、肉体と精神とはテクノロジーの進歩によって分離した。例えば、あなたが個性と個人の話を読んで何かを考え直す機会を持ったとして、では、どういうわけでここに来たのか。それは自分の意志で情報を選び、自分の頭で考えようとした軌跡だ。得るであろうことは、地域に縛られた限られた資源に基づく知識ではないはずだ。すなわち、あなたや僕の世代の頭脳は、国境という枠の中には存在しない。もはや何の地理的な束縛を受けない。今や精神は、”地球上”にあるというのが正しい捉え方だろう。つまり、個性化をどうこう論じる以前に、既に我々は異なっているのだ。個人という動かしようのない次元で、既に違うのである。だから、古い時代の個性の概念で現代の個人たちを捉えようとすれば、それは気泡と不純物に悩まされていた時代のレンズを駆使して天体を眺めようとするようなことと同じになる。

個人化の時代の例を、一点だけ付け加えるとするならば、もはや着る服は自由になった。街を見渡せばすぐにわかる話だ。もはや決まりきった流行はない。あなたが身に着けるあなたを象徴するアイコンは、集団の中の個性というしがらみを脱している。少なくとも、理性的な次元、頭の中では自分自身のテイストを掴んでいることだろう。しかしながら、諸々の旧式の社会的制約が、あなたに古い時代の均質な集団の中で見られる差異のみを許している。

そうはいっても、横断し個人化を追求する流れは少しも立ち止まってはいない。何故ならすでに、精神と頭脳とは個人化されているからだ。社会が、国家が、どのような形の規範の形成を試みようとしたとしても、一度解放された人々の魂はただ真実にのみ従うようになるだろう。そして、ある事実が共有されるとき、各々がそれとどう向き合うかということのみが課題となる。

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