個性化の時代は終わりを告げた。現代は、個人化の時代だ。だが未だに、個性化と個人化との間にある本質的な差異を取りかねる人も多いようだから、標準的な意味においてのそれらの違いについていくつかの説明を試みたいと思う。
AIが普及した時代の立ち回り方とか、立ち位置の作り方について意見を求められる。そもそも、僕はその手の専門家ではない。人間の条件という悩み方は古いテーマだが、機械の力によってその回答に決定的な形を与えられると知ると、けっこう面白い。聞いてくる人たちは笑い話じゃないって気分なのだろうから、真面目に考えてみよう。人間の創造性だとか、今後人間は色々と問われはするが、ごく大衆的な目線においての優先順位でいえば地域と心中することが重要だ。
民主主義やっててもうまいく条件について考えてみよう。そんな必要はない、民主主義自体が素晴らしいのだからとか言う人たちは、僕がアラーの神はすごいぞって言っても、言い分聞いてくれるんだろうか。当たり前だけど、民主主義をやっていける条件を準備するにあたっては、民主主義すごいよって学校で教えてはいけないよ。みんなそれぞれで考えろって言っているわけだから、考えることを奪うような教育をしたらいけないんだ。
誤解される前に言っておくけど、僕自身はフェアネスを絶対のものとして支持しているけど、欺瞞的なデモクラシーを旗印に平等な社会を目指すことに限界を感じているだけだ。みんなもう、これまでの老人たちのしでかしてきたまやかしが、文字通りの幻でしかないことに気が付いているはずだ。 知的生産に従事したことはある?どうも日本語圏では、知を生産するという営みが定着せず、何でもアメリカとヨーロッパから輸入して済ます悪癖が常態化しているようだ。今回は、西ヨーロッパが生むソフト的知性がどこから来るわけか、少し話そう。
倫理的消費(ethical consumption)とは、日本ではあまりなじみがないけれど、人間・社会・環境などに倫理的に配慮した消費活動のことを言う。エシカル・コンサンプションは、理性的な消費の一つだと僕は考えている。今回は、理性的消費と個人の充足感について話そう。
僕はYouTubeよく観るんだけど、アメリカやヨーロッパの学校で人種差別にあった!って動画を挙げてる日本の人って結構いるんだよね。で、僕はその多くが考え違いをしていることに気づいた。今回は、どういう誤解が彼らの中にあるのか話していこう。
みなさん知ってた?男の子を育てているのは、ほとんどの場合母親だ。僕の家は使用人が子育てをしていたから、全然知らなかった。現代では、子供のソフトスキル(リーダーシップ・コミュニケーション・好奇心・全般的学習能力、など)の多くは、第一次の養育者である母親から受け継がれると広く知られるようになってきた。だけど、果たして受け継がれるものはそれだけなのだろうか。今回は、日本における空想的な男女平等が子育てに何をもたらしたのかを考えて行こう。
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