自慢じゃないが、僕は18歳くらいまでは母恋しさがあった。 "140文字のアフタマス"でも描いたけれど、僕にとって自分を覆う影よりも大きな存在だった。だけど、母の印象というのは、どこか遠くへ送られてしまった。それがいつだったかは思い出せない。意識して切り離そうとしたことよりも、意識から失せていったことが良く思い出される。 僕は四番目にやっと生まれた男の子だったから、それはそれは色んな情念を浴びて育った。両親からは期待と、姉たちからは羨望とを受けて成長した。母は愛情の薄い人だった。対照的に、使用人の女性は献身的に僕の世話を焼いた。そのことが、僕にとっての少年時代あるいは思春期が母のいない恋しさせむせかえっていた理由のようにも思えた。 幸い、僕は美しかったから、自分の姿で愛情を集めることにした。愛がないのならば、集めればよいと思った。だけど、それは殺してしまうことも同じだった。愛せないものに愛を求めて、僕の魂は飢えたままだった。一晩中愛し合って、相手がすっかり僕に入れ込んで、僕の心は空っぽだった。銀紙の裏側には溶けたキャラメルがついていて、舐めとろうとすると紙で舌を切った。この花は、花ではない。 僕を愛してくれる人は、どうして僕を置いていなくなってしまうのだろう。僕はヨーロッパを去る。僕の少年時代の思い出か、あるいは苦しい重荷を捨てて、僕は僕を始めなければならない。フランスとオランダで過ごした時間は、いくつかの真理を残した。それは、エッセンスなのか?と問うことだ。すなわち彼と僕との愛は、エッセンスであり、僕らは未だに繋がっている。夢も見たし、彼の魂を身近に感じている。彼女も、そういう僕を大目に見てくれている。男と女は違うのだ、と。 僕は日本での療養が落ち着いたら、スピリチュアリティの世界で指導者を目指すつもりだ。今の日本は物質の価値に毒され、精神を養うところがない。目先のことに追われ、本質を知ることがない。そんな状況にあっては、真理などは到底根付くことはないかもしれない。だが僕は、これまでそうであったように、これからも望む人々のためのリーダーであろうと思う。 彼は言った。"新くんは大人になれば自由だよ。" それはきっと正しいに違いなかったことだ。親も家族も関係ない、自分だけの時が時刻を告げ始める、それが大人であるということだ。僕は僕の自由を何に使おう。僕は、この叡智と直感とを、ホロスコープ・アスペクトに託そう。 |