透明のアンテド
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"世界が狭いとしたら"

"君はまだ使い方を知らないだけさ"

[新しい時代の教養]

ジェンダーなど曖昧です

13/11/2019

 
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ボーヴォワール、そしてバトラーの議論から哲学的に性を語ってもいいんだけど、日本では経験談の方が受けるので、経験の話をしよう。

バイの男性はとても多い。珍しくもない。

僕は基本的に自分から人を好きになることは、ほとんどない。面倒くさいからね。相手が好感を持ってくれたときに、僕も好感を持つよ。僕に好感を持つ人は女性だけではなく、男性の場合もよくあるね。

そういう男性が決まって僕に言うのが、こんな感じのこと。

"俺は女好きで女にしか興味がない"

"日常生活では全くのストレートだ"

"だから、可愛い少年は別腹だと思っている"

だから以降の下りが、いつも言語不明瞭だと思うんだけど、"男性性との性的な関心との間の矛盾"を取り除こうとしているのだろう。

それで僕は思うんだけど、ジェンダーあるいはセックスというものが、はっきりと分かれているのなら、こういったバイ男性というものは表れるわけがないんだ。

性別というものがはっきりとわかれているのなら、もっとこう、大の男、女にしか目がない、ってなるはずだろう。だけど、実際は人間が性的に惹き付けられる部分というのは、そんなにはっきりとしていなくて、曖昧なんだ。それに、状況というのもあるだろうね。

日本みたいに、男女の性志向がきっかり分かれているところの方が珍しい。ヨーロッパでは、男性はもっと女性的だし、女性はもっと男性的だ。日本という場所は、フェティシズムこそ過剰に発達しているけれど、それはモノ化された性への信仰であって、人間同士のやり取りは甚だ未熟だね。だから、日本では、男は男であるし、女は女である。しかし、先進国というのはいつまでも工場をガラガラ回している場所ではなく、ソフトウェアすなわち新たな内面の価値を創出できる場所を言うだろうね。

つまり、僕が言いたいことは、本人がアイデンティティとして気にするほどに、他人は気にもかけてはいないということ。しかし、性の話は誰にとってもひどく内向的な性質を帯びるので、小さなずれが大きなずれに感じられるんだろうね。

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