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[神秘の部屋]

スピリチュアル基礎理論解説

4/3/2021

 
霊性と精神性を支持する4つの軸
画像
僕の動画でのざっくりジェスチャーだけでは、何言っているのかわからないと思うので、図を作った。たぶん、動画でも紹介すると思う。

ソウル(魂)を取り巻く4つの軸
・マインド:理性
・ハート:情動
・ボディ:肉体
・スピリット:霊的実体

これらを踏まえて、スピリチュアルの基礎理論について、今日はちょっと話そう。

まず、魂なんてあるの?という意見があると思う。

さて、どうだろう。あらゆる文明の起こりにおいて、僕らは神と対話し、霊を語ってきた。シャーマニズムのない文明はなかった、というのが今日わかる限りの歴史的事実だ。もし、人類が神と対話し神性を読み取ってきたという歴史的事実を取り扱わないのならば、それは科学的な態度ではないだろう。

それで本題の魂の話だけれど、今日的な学問的見解としては、僕らはフィジカルでありスピリチュアルな存在であると言われる。それを専門用語で中立一元論(ニュートラル・マニズム)という。これは簡単に言うと、僕らが物質的に見えるのかあるいは精神的霊的に見えるのかは、どこから僕らに焦点を当てるかということに寄る、というものだ。それは、物質的でありながら霊的であることを説明する。

僕らはソウルすなわち霊性について見るときに、そこには4つの軸があると感じていると思う。それが今まで多くのスピリチュアリストたちの説明が、どれだけスピリットに傾倒しすぎていたかを説明する。スピリチュアリズム(≠スピリチュアリティ)、いわゆる心霊主義の誤謬がそこに在る。僕らは地球において人間という形を選び、ごく物質的なものとして存在している。それが何よりも、旧来の心霊主義が誤りであることを証拠だ。僕らは霊的ではあるが、霊的ではない僕らも確かにここに存在する。

僕らには肉体がある。例えば、ヨガやオーガニックで心の不調が癒えるのは、僕らが肉体を持つがゆえだ。もし心霊主義者たちの意見のように、霊が全てであり現象界に何の意味も機能もないとすれば、僕らの心がスピリチュアルなボディワークで癒えることはないだろう。僕らの精神あるいは霊性、そこに在る傷や痛みは、なぜか物質の世界からの介入で癒えたりもする。

しかし、一方で、僕らはまったくの霊的あるいは精神的な存在でありうる。僕らは、地球上において点として存在するのにも関わらず、認識する世界は空間的な広がりを持つ。国境を跨いだ先で暮らす恋人が、何を考えているかを感じ取る能力がある。それは全く霊的な距離感であって、単なる五感の働きかけでは説明されない。僕らは生物学的には閉じられたシステムの中に在るのにもかかわらず、地平の先のひどく遠くな離れたところで起こる紛争に心を痛めたりもする。つまり、誰もがある種のサイキックでありスピリチュアル的能力を有する。

神社、寺、教会、礼拝堂、それらは君のスピリチュアルではない。彼らに君の自由そして信念を決めさせるべきではない。きみは原罪を持って生まれてきたわけではないし、それを償うべきだという主張を裏付ける倫理的原則はない。宗教の言うような、天国への切符はスピリチュアルにはない。スピリチュアルでは、高い波動で毎日を天界へと変えていく。きみは生きながら死んでいるから、そこに生死はないし終わりも始まりと同様、希望と期待に満ち満ちている。つまり、スピリチュアルとは、自分たちに眠る神のかけらを目覚めさせることだ。宇宙という広がりの中において、僕らはごくごく小さな部分を示すに過ぎない座標だ。だけれども、その座標もまた、宇宙の一つだ。それが僕らが、分かたれた宇宙つまり神の一部であり、神性を有する根拠だ。

僕はこのことを説明するのに、次のような日常語が分かりやすいと思う。僕らは神ではないが、天使かあるいはその卵だ。東洋的に言うなら、菩薩と例えると分かりやすい人もいると思う。

じゃ、またね。

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