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聖ジーンあるいは殴打の献灯

11/7/2017

 
昔の恋人を題材にした精神分析文学
画像
手を挙げろ。もう平和なんだから、武器を捨てて手を挙げろ。戦いは終わったんだ。
S.I.K.
 
あることが決まってから、ジーンはいつになく落ち着かなくなっていた。彼は、水筒の中のコーヒーの残りをカップに注いだ。ダイエットシュガーを入れて、ミルクは控えた。iPhoneの通知を頭の奥底で反響させ、ある一つのことに備えた。この水筒は洗っておくべきかしら。そうだ、あの子はきっと家に来るだろう。いいや、私が何事もないように万事取り計らうから、そうなろう。ケーキは好きだろうし、チョコレートがいいだろう。だいたいどうしてか男の子というのはチョコレートが好きだ。ケーキは一緒に並んで買うといいだろう。ジーンは、コレクションはこっそりと目立つところに置くという主義を貫き通していた。目立ってかくまうという手順が、彼の中の抗いがたい一種の禁欲的な欲望の発露と呼応していた。彼はヴィーナスだ。彼は少年という器官を通して、自分自身を愛しつくす男神だ。
 
「ジーン。君のような賢い少年は、大変だ。」
 
「何が大変なものがあるって。アフリカの黒ん坊や、中国の乞食に比べれば、僕は全然自由さ。」
 
「強がったり自分を虐め抜くようなことは言っちゃだめだ。そうだ、きみ、動物は好きかい?」
 
「動物?イヌとか?」
 
ジーンは慣れた手つきでiPhoneのフォトアルバムから、ウサギの写真を探った。踊るような指で液晶のガラスを撫でると、いつどんなところで見たウサギで、どんな人たちが繁殖させているのかを巧みに説明した。別のジーンは散漫な様子で、へえ大きいね、とか、それって食べられるの、と言って話を促した。あるウサギが地域に固有で、別のジーンより大きいことを説明するにあたっては、このジーンも力が入ってその心情を多くの言葉で語った。それでどれか買ったの、と少年は最後に付け加えた。
 
「これにしよう。」
 
「僕はこっちがいいんだけど、生卵嫌いなんだ。野蛮人の食べ物だよ。」
 
特別な、とか、珍しいといった飾りのついたものに、ジーンは目がなかった。それは、ある種、専門的でいて定型的な彩りの乏しいもので、そこに彼の執心は表れた。自然が好きだ、と思った。だから、このジーンは食べなれない生卵も食べるように慣れた。別のジーンが示す、彼の育ちとでもいうものもまた自然だった。アメリカっていうのは、分別がない。かえってそれが、この子の物憂げで利発そうな顔立ちと表情に、固有さを加えていると思った。この子はきっと元をたどれば、何かがある。だが、それを聞くのはもっと先にしないとならないだろう。自我が囀る前に愛することは、奪うことだ。彼は奪う人間ではない、与える人間だと自認している。
 
「学校は?先生は、やっぱりむかつくのかい?」
 
「別に、馬鹿な英語のテストだったから、新聞を創作して裏に長々書いてやったんだ。そしたら0点だよ。」
 
「この国の教育は良くない。ドイツだったら大学は無料だよ。」
 
「先の話は知らないよ。僕はいまつらいんだ。」
 
ジーンが何を注文するかよくわかってはいたが、あえてこのジーンは彼の注文する姿をみることにした。ウエイトレスに話しかける彼の言葉遣いや抑揚をつぶさに観察した。この子は甘い香りがする。洗剤だったら、どれも思い当たる物がない。服に書いてあるDIESELというのは、何の燃料のことだろうか。ONLY THE BRAVEとはどういう意味だろうか。ジーンの祖母はイギリス人だったから、彼はらしくないほど英語に堪能だった。そういう正統的な教育成果が邪魔をして、繋がりの欠けた言葉を理解するのに手間取った。
 
「きみの着てる服、ドイツ語で燃料って意味だ。」
 
「フーディ?そうなんだ。赤が変?」
 
「赤は、コーラの赤?好きだろう?」
 
「そうかな。どうかな。そうかもね。」
 
ジーンの注文に遅れて、ローストビーフ丼が運ばれた。ローストビーフの断面は、この子ほどに赤くは見えなかった。ジーンは、緊張している彼を自然にさせるために、自分から箸を進めて笑ってみせた。別のジーンはぎこちなく笑って、このジーンがかけてきた数分の一の時間で身に着けた箸の使い方を見せ、彼を感心させた。筋肉が柔らかいのか、脳が若いのか、その両方か確かめる術はないかと思った。彼の脳は、彼の皮膚がそう見えるように、柔らかだろうか。箸を動かしながら考えていると、少年がこちらを向いて「おいしいよ。」と言ったので、ジーンは作りなれた、しかしおそらくは本心からの笑みを答えにした。食べるときのジーンはほとんど話さない。その出来事の一連の流れを、体の中で繰り返している。鑑賞という姿勢は、音楽家の忘れてはいけない姿勢だと考えている。鑑賞するためには、自分がぎこちなかったらいけない。あくまでも、あるがままにそこいらに遍在するかのようにふるまうことが大事だ。焦点の外で動く別のジーンを眺めながら、この味が天ぷらだけからもたらされるものか、もしくは何らかの動的な心の状態が別の味付けを企てたのかについて思いを馳せた。 
 
「ごめんなさい。食べるの遅いね。」
 
「私は大きいから早いんだよ。」
 
指は長いが、彼は細やかだ。繊細なつくりをしている、例えば、鼻筋は通っているがねじれていたり大きかったりする鼻ではない。これは少女だ。そう思いいたると、ジーンは自分の分別の無さに怒りを感じる一方で、自身の社会的な正常さについては安堵を覚えた。彼は孤独そうだ。彼ぐらいの年頃は普通なら友達と遊んだり、何かと忙しいはずだろう。あのチョコレートケーキを気にいるだろうか。彼の小さな顔を容易に覆い隠せるほどの長い指は、どうフォークを持つだろう。フォークは綺麗に洗ってあっただろうか。問題ない、そのくらいの時間はあろう。彼はジーンが食べ終わるまで周囲を見渡していた。それは彼流の、極めて内的な感情のやり取りだった。自然と気の利いた話題が思い浮かぶのを待った。だが、老人の言葉が少年を喜ばせることは稀なことだろう。子供は言葉ではなく、行動に関心を持つ。このジーンは、自分の言葉に自信を持っていた。彼は音楽家であり説教師であり白いヨーロッパの代表だった。この少年の目つきは、失ったあの少年に似ている。憂いを帯び、気だるげなのに、大きな瞳をしている。あれは25歳の時だった。15歳の少年の音楽教師を始めて、一年しない内に私たちは恋に落ちた。関係が進むにつれ、ジーンは後戻りができなくなっていた。ピアノ一台が置かれた密室においては、自然の成り行きだったとジーンは結論付けていた。当時まだ分別のない若者だったジーンにとっては、密室とは自由のことだった。ジーンの見立てでは、その少年は6割はヘテロセクシャルだったが、4割はホモセクシャルだった。しばらくして、少年はジーンを拒絶するようになり、やめないなら言ってやる、と脅すようになった。愛しすぎて壊してしまった少年との関係と、高度さがもたらす相互に監視し合う社会にあっていたたまれなくなり、ジーンは逃げるように日本への留学を決めた。食べ終えた別のジーンに立つよう促して、会計を済ませ車に乗せた。車はトヨタのSUVで、荷物をたくさん積めるのがジーンのお気に入りだった。別のジーンは、この車の大きさに小さな恐れを抱いていた。その恐れが何によるものなのかは、ジーンはよくわかっていた。
 
「忙しかった?」
 
「君に会いたいところだったから、時間を作ったよ。」
 
「そう。じゃあ、僕は面白い話をしなきゃね。忙しいみたいだね、いつも僕のメッセージに気づかないから。」
 
「最近は結婚式が多いからね。毎度同じような顔の日本人の男女に、愛を誓わせるんだ。」
 
「いい仕事みたいに聞こえるよ。」
 
「退屈だよ。コーヒーにするから、車を止めて一緒にケーキを買いに行こう。」
 
「悪いよ。僕、お金持ってない。」
 
車は教会の駐車場に止めて、横断歩道のない道を二人で渡った。少年は活発だ。彼は走れるのだ。ジーンより後に渡り始めて、苦も無く追い越してしまう。先に店にいた日本人の女子大生が小さな目を丸くしていたから、ジーンはあの笑顔を見せた。笑顔とは、私は敵ではないという挨拶だ。店はコーヒーとチョコレートの甘い香りが充満していた。やはりこの少年は、アメリカよりヨーロッパの香りがする男の子だ。彼はアメリカ的じゃない。彼は、あの失った少年と比べれば顔や体つきは華奢だが、同じ匂いがする。初めて車に乗せた時から感じていたあの感覚は、乳臭さだ。この少年は青いのだ。
 
「決まったかい?」
 
「ザッハトルテ、いい?」
 
「じゃあ私は、この苺のにしよう。」
 
「ここで食べるの?」
 
「まだお腹いっぱいだろう。教会で一息ついてからにしよう。」
 
「じゃあウサギが見たいな。」
 
 
ジーンは少年を連れて住処へと戻った。フランキンセンスが染みた木の肌を撫でると、あなたと初めて恋に落ちた。真っ白な花弁が、真っ赤になるまであなたの名前を唱えよう。立ち上る祈りは神へ向けられたのではない。音曲は奏功する。ヒバリたちは春を歌い出し、忘れられない時になるだろう。あなたは枯れて朽ちるけれど、あなたを奏でた時間は永遠に宇宙に漂う。美しさは永遠に難破したまま、心に一つのとげを残す。涙を飲んで、のどを潤す。それは、あなたの涙だから、薬になろう。ウサギが鳴いた。これは鳴くウサギだ。ねえ、ジーン。
 
 
「ジーン、ジーンって。僕の名前はジーンじゃない!」
 
「待ちなさい。駅は遠いよ。」
 
「偽善者だ!あなたはただの偽善者だ。」
 
「聞きなさい。」
 
「僕が弱みを見せればつけ入ろうとする。悪魔よりたちが悪いよ。」
 
「騒ぎ立てる子には二種類いるよ。誰かを求めているか、単に人の関心を買いたいだけだ。」
 
「へえ!じゃあ僕は死ぬのが少しも怖くない。お前みたいな偽善者を地獄に突き落とすためなら、どんなやり方だってやってやる!」
 
「落ち着きなさい。」
 
彼はコレクションにはならない種類の子供だった。どんな容器に入れてみても、頑丈な標本箱を選んでみても、ガラスをたたき割って出てきてしまう。だからこそ、このジーンの心はその少年にくぎ付けになった。家の奥、いや玄関から埋め尽くされた幼児的コレクションのなかで、まだ手に入らなかったもの。まだら模様の蝶ではない。大粒の黄玉ではない。あれは一揃い味わいきってきた肉体とは、違う種類の香気を放つ存在だ。棘だ。触ると痛い。ジーンは幼いころ指を刺して、血の粒を美しいと思った。それから友達に花を摘もうと勧め、怪我をした指を見て心がときめいた。この原始的な欲求は社会化され、言葉という記号に昇華された。この少年にはあの棘がある。やり取りの中でジーンはある時は棘になり、あるときはその痛みを受けた。そうなるべく仕組んだ。彼をコレクションに飾って完成するかはわからないが、これなしでは生きた心地がしない。皮膚が痒い。年を取るというのは、多くの苦痛を持つということだ。そして、傷つけることに鈍感になることでもある。少年の世界を侵犯することは、愛ではなく神の導きのひとつなのだと、ジーンは今でも確信している。
 
「僕を神様にして。ジーザスに。」

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